晴れて無職な潜在意識

アルバイト先の書店が休業ということで、ここ10日ほどそのための整理整頓(商品の返品など)をせっせとこなし、29日をもってその作業が終わった。

つまり30日から無職になった。

 

面接前から条件として今年の11月いっぱいまでということは告げられていたので、慣れない業務で大変なことがあっても「とにかく11月まで」という気持ちで働いてきた。正直勤め先には迷惑をかけてばかりだったけれど、自分としてはやってみたかった仕事だったし、いろんなことを学ぶことができたので充実した10か月だった。

 

そして、無職になった。

そもそも働くということがあまり好きではなかったので、仕事がなくなればもう少しせいせいするかと思いきや「さーて、次は何の仕事をしようか!」と割と意欲的な気分驚いた。早速駅前からタウンワークを持ち帰ってパラパラ見ていると目に留まるのが意外な仕事だったりして。おやおや、どうしたのだろうか自分。

 

話は少し変わるが、最近自分の無意識というか、潜在意識と普段の意識が近しくなっている気がする。

毎晩見る夢もスパッとストレートに現実の意識活動を反映しているものが多くなった気がするし、あと、偶然の一致(シンクロニシティというやつ)が増えている。自分が何となく「ほしいな」と思っていたものが棚ぼた的に手に入ったり、気に入っている小物がそのすぐ後ろのテレビで流れている映画のなかに現れたり(このときはほんとうにびっくりした)、そういう類のことである。もともと偶然の一致は多く起こる方なのだけれど、以前より少し精度が増しているというか、もはやえぐさを感じるくらい狙いすまして起こっている感覚がある。

極めつけはデジャ・ヴュである。デジャ・ヴュは、感覚としては小学生~中学生くらいがもっとも多く、また鮮明に起こっていた気がするのだけれど、この前はなんと3日連続でデジャ・ヴュが起こった。こんなの初めてである。鮮明さこそ小・中学生の頃にはかなわないが(ほんとうにからだがぞわっとしたものね。あれは何だったのだろう)、「あー、この後このまま作業を続けて気分が悪くなっちゃったんだよな。だからこのへんでやめておこう」なんてことが出来てしまい、もはやデジャ・ヴュというより未来を見てきたかのようであった。

 

これを読んでいる人は今書いたような事象と意識・無意識が近しくなることに関係があるのかと思われるかもしれないが、ぼくの感覚では間違いなく「ある」。要は自分の無意識のなかで起こっていることが現実化したり、現実のことがスッと無意識に入っていっているわけで、現実と無意識の交通がとてもクリアになっているのですよね。それにはその間にある意識(自意識と言ってもいいけれど)がある程度クリアでなければいけなくて、さっきは「近しい」という言葉を使ったけれど、意識が前より少しクリアになった結果、無意識が透けて見えるようになっている、という感じなのかもしれない。

 

「思っていることはすべて現実になる」と、ある呼吸法の先生が言っていたが、それもほんとうだなと感じられるようになってきた。人間まず意識があって、意識が言葉になって、思考になって、やがて行動になっていく。そういうようになっているみたいである。ぼくの今の無職の状態というのも、いつの時点かの自分が想像していたことだし、この先の未来も、ぼくの無意識はたぶん全部知っているのだろうなという感じがする。というか、無意識の場所にないことは出来ないし、起こらないのだろうなという感じがする。

 

そんなわけで、ぼくが意外な仕事に興味を持っても、それはたぶんぼくのなかに蓄積されている無意識からすれば当然興味を持つであろう仕事なのだろう。ただ、どうも腰の重いぼくはきっとやった方がいいであろうその仕事を「もう少し様子を見よう」とステイしてしまった。もう少し積極的に、行動的になれるといいんだけど、勇気が足りない。それがこれからの課題。

 

あと、無意識で言えばなーんとなく海外に行くような気がしている。「なーんとなく」とはいえすでにはっきり意識に出てきているので、これはずいぶん前に無意識にストックされたものだと思うのだけれど、一体いつなのだろう。旅行、とかではないんだよな。旅行そんなに好きじゃないし。でもじゃあ海外ってどこなんだよ。

それもこれから。

 

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