季節の変わり目

写真をやり始めてよかったことは、四季の変化に敏感になったこと。

 

もっと言えば、一日一日の変化に敏感になった。「あれ?今日は昨日に比べると日差しがやわらかいな」とか、「急に湿気が強くなってきたな」とか、「においが変わった」とか、そういうようなことにいちいちカーソルが向くようになってきた。

たったそれだけのことなのに、以前に比べて生きている感じも変わった。充実感のようなものが少し増した気がする。家の前に生えている草の姿に気が向く、さらにはレンズを向けてシャッターを押す。そういうことができるだけで、ふわっとからだもこころも気持ちよくなる。

こういうふうに生活というか、世界を楽しめるようになってきただけでも、写真を撮り始めてよかったと思う。

 

季節でも、以前は何もわからないままに「夏の方がいいな」とか「やっぱり冬の方がすきかな」とか思っていたが、今はどの季節もすきになった。どの季節もたのしく過ごせる。それは「旬」の感覚を知ったからだと思う。「今、この景色は、この季節である今しか現れないんだ」という感覚が常にあるから(本当を言えば「今この景色はこの瞬間にしか現れない」という意識なのだけれど)、春夏秋冬どれも「わあ」という気持ちでいる。ただカメラを持っただけなのに、ありがたい変化である。

 

今年は8月が終わるとぱっと秋にシフトして、残暑というものを全く感じない。空気がカラッとしていて、日差しは暖かい、あるいは少し暑いけれど日が落ちて夜になると肌寒い。「これぞ秋だな」というぐらい過ごしやすい気候だ。ここ数年は夏がじりじりと10月半ばくらいまで続いて、2週間くらい秋があってすぐに冬のような寒さがやってくる、という感じがしていたのだけれど(もっと冬が早く来ることもあった)、9月をこんなに心地よく過ごせるのは久しぶりではないかな。

そうすると、これも不思議なもので、写真が冴えてきた。今月アラーキーの『近景』を見たこともきっと影響しているのだろうけれど、それよりも気候の変化、日差しの変化が大きいと思う。今年の夏は、何のせいかはよくわからないのだけれど、昼間に外を歩いていてもピンとくる瞬間が少なかった。代わりに夕方になるとバシバシ「ここ!」「ここ!」と写真になる景色を感じたのでシャッターが切れた。今も夕方はグッと踏み込める感じがある。でも、昼間の景色にも透明感が出てきて「これ撮れる」「これも撮れる」と、とても調子がいい。結果的に撮れている写真もハッとする出来になっている。

たぶん、からだが気持ちいいからだな、と思った。

夏も嫌いじゃない、どの季節もすきだけれど、やっぱりからだに負担がかかっていて、外にいるとき集中力が微妙にそがれている状態にあるのだと思う。シャッターを切るのにも余分に体力を使ってしまうような。ほんとうは夏の日差し・空気にも十分耐えうる体力・集中力を身につけたい…が、なかなかそうはいかないようです。ちょっと過ごしやすい気候になるだけでいろんなものが意識に入ってくる。すてきな瞬間に見えてくる。

 

ちなみにこころが気持ちいいのはあまり信用ならない。心のテンションが上がっている状態でシャッターを切ると、写真は微妙な出来になっていることが個人的に多い。こころにグッとくることは大切だけど、からだやカメラは置いていかない方がいいようである。

 

f:id:otsushu:20170929132108j:plain

 

草花の写真がどうしても多い。仲良くなりたいから。一方的に気持ち良くさせてもらってばかりで申し訳ない。ここの彼岸花は何故かもう全部切り落とされてしまった。