26歳になったけれど、まだまだ生きなくてはならないし。

先日26歳になった。

 

年を取るほど特別に感じることがなくなってくる誕生日。わくわくすることもそわそわすることもない。けれどここ数年、誕生日のたびに思うことは「よく~年も生きることができたな」ということである。今年であれば「よく26年も生きてこれたな」と思った。

 

生まれて26年経ったが、よく生命も、心も、たましいも失わずに生きてこられた。

 

これまで特に生命の危機にさらされるような経験をしたことはない。でも、心やたましいということになれば、結構危険な状況を味わってきた気がする。その危険な状況というのも自分で呼び込んでしまっているので、全く自慢にならないのだが。

 

自分にとっては普通にただ生きているということも苦しいことなんだな、と改めて自覚する。たのしいことはもちろんあるけれど、それよりもこのぶすぶすと続く不完全燃焼感。「生きているのか?これで生きているって言えるのか?」自身で作った殻が厚過ぎて、なかなか思うように生きることができない。

 

それでもちょっとずつ、何かがよくなっているような気はして、希望を持っている。

 

今はとりあえず、自分の命を写真に食わせている。ぼくの写真はぼくが生きていないと生きられないし、命をあげて時間をあげないと生まれない。育たない。何になるのかなんて全然わからないし、つまるところ何かのためにやっていることではないのだからどうなったっていいことで、でも、たとえば自分の子どもにそんなふうに思うかもしれないように、ぼくの写真が持っている感覚・感性を素直にまっすぐ、よい方向に伸ばしていってほしいと思っている。

 

ぼくの写真もちょっとずつよくなっている。

 

 

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今年は「よく生きてこれたな」と思ったあとに、「生きられてよかったな」と思った。そしたらやっぱりかなしくなった。「誕生日なんて早く終わってしまえ!」と思うくらいにつらくなった。

でも、1年に1回くらい、こういう日がなきゃね。まだまだ生きなくてはならないし。