四月歌という名前をもって

今回は美術作家、杉戸洋の作品集『April Song』について書く。すぐ手元にその本があったので。

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といって、べつに適当に選んでいるわけではなく手元にあるというのは知らず知らずのうちに読み返しているということで、それに最近気が付いて自分でも驚いたので一度なにか書いてみようかなと思った。

杉戸洋って、みなさんいったいどれくらい知っているのだろう。このブログを読んでいるひとはおもにぼくの友人らしいので(ありがとう!)知っているひとも多いと思うけれど、一般的にはあまり知られていないのだろうな…でも、国内外でも高く評価を得ている現代美術作家です。日本ではここ三年くらい毎年のように美術館での展覧会があったので、結構にぎわっていたと思う(あくまで現代美術業界ではという話ですが)。

さて、どういう作品をつくっているひとかと言うと、おもに絵なのだけれど、ざっくりいつも業界のひとが説明している感じで言えば「パステルのようなやわらかな色づかいで具象と抽象を行き来するような絵画を制作している」となるのかな、今ぱっと検索して杉戸洋の作品を見ても特にこの文言ではずれていないのではないかと思う。
けれど、それはあくまで表面的な話であって、実際に展覧会に足をはこび観てみればそんな言葉ではおさまらないなにごとかが起こっていることがわかる。個人的な感想になるがあれはちょっとしたスペクタクルである。なにがスペクタクルって、絵は絵であるかぎりそれだけできちんと成立し存在しているはずなのに、ひとたび展示空間の壁なり床なり木端の上なりに置かれるとあたかもそこに置かれるがためにその形、色、書き味、完成度までが選択されているようで「きみはこういう土でこういう日当たりで一年で見ればこういう気候の土地で育ったのでこういう木になったのだね」と、まるで自然物でも見ているな気分になってくるのである。「絵が絵からはみ出していろんなものに支えられながら立っている」というような。
ふつう、絵はまずただ絵として完成する。絵として完成したら、その絵に似合うかあるいは引き立てるような額をつける(あるいはつけない)。展示するならなるべくよく見える場所に飾る。絵がいくつもあればそれらいくつもを使って空間をつくる。それぞれの絵がよく映えるような空間にしたり、居心地のいい空間にしたり、インパクトのある空間にしたり。

しかし杉戸洋の場合、たとえば額に入っている絵があればそれは額ありきで成り立つようになっている。まるで最初からその額に合うように描かれたように。ある絵はキャンバスを張る釘が半分飛び出している状態でなければならないし、ある絵はある絵の隣にいなければならないし、そのある絵の上辺にはなぞの緑とか青とかピンクとかラメとかが塗られた木端がのっていなければないし、それらの絵は天窓から光が差し込む部屋になければならないし、部屋の床はピンクのマットでなければならないし…と、こんなふうにずっとずっと思考がマクロに続いていって、果てにはこの日本にあることとか地球にあることとか宇宙にあることにまで続いていきそうな、とそれはさすがに大袈裟だけれど、それくらいに緻密で緊密で複雑な関係を絵を描きながら絵を越えてつくっている作家だなと、これはたぶんぼくだけではなく展覧会を観たひとならばだいたい同じようなことを感じているのではないかと思う。
たぶん、杉戸洋にとって絵はたとえ同じ絵であっても一分一秒ごと、瞬間瞬間うつろって、表情を変えていくのだろうな。晴れの日と雨の日、曇りの日、朝、昼、夕方に夜、アトリエにあるときと展示会場にあるとき、毛布やぷちぷちや紙になど巻かれて梱包されているとき、それを解いたとき…一枚の絵におとずれるさまざまな瞬間をすべてべつものとしてあつかっているのではなかろうか。それはもちろん真実ではあるけれど、絵描きがそれをやっているというのがちょっとおそろしい。多かれ少なかれ一画面に美を「固定する」のが絵画の一般的な性質であって、だからこそ、その価値も固定される。けれど、杉戸洋のやっていることはそれとはまったく真逆のことではないか…。

はてさて、ここまで長かったが『April Song』である。
この本は、さっき作品集と書いたが、ぼくはどちらかと言えば写真集かなと思っている。もちろん作品はたくさん載っているが写真の一部として写り込んでいることの方が多いし、作品はいっさい写っていないただのスナップショットも結構ある。しかし、それらのスナップショットが杉戸作品とまったく関係ないかと言えばこれが見事に杉戸作品とかさなる写真になっているのだな、よくもまあこんなに自分の絵そっくりの写真が撮れたものだなと感心してしまうくらいに。さっき書いた作品のうつろいも本人がしっかり撮ってくれている。全部見終わるころには「なはんだ、杉戸さんの絵のからくりはこういうことだったのか」と漠然な納得感を得られると思う。
実はもっと作品集然とした『UNDER THE SHADOW』という本ももっているのだけれど、こちらはあまり見返さない。『April Song』に慣れてしまうとピンポイントに絵だけを切り取って絶対的に見せるやり方ではなんとなく物足りなく感じられるのだ。序文に言葉があるだけで、あとは作品タイトルすらなく淡々と写真だけを見せられる本だけど、ここで達成されていることは大きい。自分のつくる写真集もこういうものになればいいのにな、と思うけれど、ちょっとむつかしいかな。絵描いてないし。

 

では、最後は杉戸洋ご自身の言葉で。最近は展覧会のタイトルにも独特のセンスを感じます。

 

キャンバスを壁に掛けて制作に取りかかるとき、壁に出来る影の色をいつも気にしながら描いています。
季節では四月が一番好きです。
ここ三年間を振り返ってみると、八月、九月に日本で仕上がった絵がないことに気がつきました。
どうすればこのじめじめした湿気を味方につけて制作出来るか日々考えています。
(中略)
ウィーンにいるときは、ピアノの音がきれいに聴こえたりパンを美味しいと感じましたが、
ピンクの色はここで見るのが一番美しく見えます。