酔った帰り道はなぜかたくさん写真を撮っている。たとえばこんな写真とか、
今年最後の月も、残り数日となった。
普段はそれほど疑り深い性格ではない(と、思っている)のだけれど、「どんどん時の流れが速くなっているように感じる」という、よく聞く言葉にたいしてはずっと否定的というか、うなずけないでいる。それを言うなら僕は子どもの頃から時間が経つのは早いと思っていた。少なくとも年末にはいつも「今年ってもう終わってしまうんだ」という気持ちになっていたし、小学校の卒業のときも、中学校や高校を卒業するときにも「あっという間だったな」と思った。ものごとが終わるときには必ずそう思うものなのだ。なので、ことさらに早い早いと思うことはしないようにしている。確かに、子どもに比べると一定の時間のなかでの感覚の密度のようなものは薄くなってきているのかもしれないけれど、もし勝手に感覚がスキップさせているような時間があるのであれば、今一度普通の再生モードで、時にはコマ送りにして、目のまえにあるものごとと向き合ってみたい。
たぶん、これが来年の大枠での目標になると思う。
目下にある小さな目標としては職を見つけなくてはならない、というのがある(決して小さくない)。今年中に見つかるのが理想的ではあったけれど、状況に甘えて来年に持ち越してしまった。
とはいえ、職を失った当初に考えていたほど、すぐに決めてしまわなかったことはよかったと思っている。「とにかく早く職がほしい!」とやっきになっていたが、それでもやはり何でもいいわけではない。特に意識がふんわりと変わってきたのは、「自分は作家じゃないよな」と思えてからだ。もし作家でないのであればアルバイトやそれに似た仕事はもうしない方がいいのではないかな、という意識が生まれた。というか、過去何度かそういう意識は生まれていた。ただ何やら自然と写真集なんかを作っていたので、自分自身で自分が何なのかよくわからなくなっていただけだ。
たぶん、自分は作家ではない。
これからも写真を撮るし写真集もつくるしそれ以外にも何かをつくっていくような気はしているが、それでもいわゆる作家と呼ばれるような人間ではない。
だから何かちゃんとした手に職をつけた方がよいのではないだろうか、というのが、この2017年末の僕のこころである。次の職が、結構な分岐点になるかもしれない。予感だけれど。
新しい写真集の話。
新作の写真集はちょうどクリスマスの朝に届いた。今までにない大きさの写真集だったのだけれど(297×297㎜)、個人的にはいまいちの出来だった。撮っている写真は間違っていないと思うのだが、形にするやり方が違うというか、見せ方が違うというか、とにかく何か限界を感じさせる一冊で、そういう意味では今年の集大成としてふさわしい写真集になった。
そもそも本というのはひとりでつくるものではないのではないだろうか?
たとえば絵はひとりで描いて、ひとりで完成させてもいい。ひとりで完成させるしかない、ということだってある。けれど展示はひとりで考えるには限界がある。そういう感じである。ひとりで考えて、ひとりでつくるには、本は大きなものでありすぎる。
来年の今頃もまた、同じように未来に課題を抱えた違う自分がこのパソコンのまえにいるのだろうな。少しずつ、少しずつ、自分のやるべきことが絞られていっているのを感じるけれど、それでもなお未来は未知で、大きくて、茫漠としている。
来年。シーレの没後から100年。僕は27歳になる。シーレは28歳で死んだ。