散りゆく意識の言葉
・小説を書きはじめてみるも「これじゃない感」がすごい。
・たぶん、自分が書きたいものというか、書けるものとずれているんだと思う。ほんとうはもっと短いものでいいのだと思う。小説を書くべきひとには書くべきひとなりの意識やからだがある。ぼくの意識やからだは、たぶんもうちょっとちがうものなのだと思う。
・考えごとってあんまりすきじゃない。しなくていいならあまりしたくない。こんなに考えなくていいなって、ついつい考えごとをしている自分に思う。
・なにも考えずに写真を撮っていた日々が、すでになつかしい。どうやって写真を撮っていたんだっけ。なにも考えてないから、カメラをもってまだ日の高い午後にでも外に出ればすぐに撮れるよ。どんな写真を撮りたいかはカメラが知ってるから。
・それでも、写真ではお金を稼げないから、文章を書くと決めたのだった。
・決めたのではなく、自然と自分は文章を書いて生きていく人間だと感じたのだった。
・カメラって信用できない。写真も。いつ自分から離れていくかわからなくて。いざというとき自分は彼らを守れないかもしれないし、彼らも、あっさりとぼくから退いていくかもしれない。ときにはとても現実的な問題で。
・だから文章を書くと決めたのだった。書くのだろうと思ったのだった。
・なんにもすることがない午後の時間がすきだと気がついた。中学校に通っていなかったころの感覚が残りすぎている。お昼ごはんは早々に終わっちゃって、ドラマの再放送にはまだ時間があって、みんなは学校に行っているし、だれにもあいたくないし、ちょうど生きているのと死んでいるののあいだのような時間で、ぼくは人生のうちでもたいせつな年齢をそのようにして過ごしたのだった。だれともつながっていない時間。
・いまもちょうどそんな時間を過ごしている。
・なまぬるいくらいの絶望がぼくらの絶望な気がする。そういうものが表現されていると、おなじときを生きてきたのだなと思う。
・すきなもの。毎日変わるテーブルのうえの風景。カップやコースターやリモコンや鏡がいつも違う場所にいる。外から差し込む日の光もすぐにすぐに動いていく。