前回夕方を撮るだの何だのと書いて、翌日、いつものように5時頃カメラを持って外に出たら全く感覚が変わってしまっていた。

やっぱり言葉ってこわいのだな、思った。言葉は何か物事を固定してしまうところがある。撮る、という行動で漠然と捉えていた自分と夕方との関係がたぶん、この前のテキストで少し固定されてしまい、それが感覚に作用して景色に反映されてしまったのだと思う。

 

「書かなければよかった」と、撮り始めこそ思ったけれど、その後何となく「でもやっぱり書いてよかったな」と思った。大体文章が書けるほどに気持ちが固まってしまっていて、夕方を撮るということ自体がすでに固定化されてきていたのだ。それを一度書いて「あれ?全然撮れていないな」という感覚が得られたこと。文章を書くことでひとつ、自分の現在の限界を示すことができたのだということに気付き、やっぱり言葉にすることって大事だなと思った。

 

言葉はものごとを取り囲む。固定化する。でも、かためればそれがゆるめる契機にもなる。結んで、ほどく。止めて、動かす。

 

結局それって写真じゃん。そんなことも思った。

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写真は先日の雷雨の日に撮ったもの。初めて稲妻が撮れた。