2月6日は…

・今日はZARD坂井泉水さんの誕生日。今年で51歳になるよう。

 

・高校から家に帰ってきたら夕刊の一面に死亡記事が載っていた。なにがショックだったって、それまで知らなかった本名と年齢がかっこにくくられて書いてあったこと。

 

・誕生日だと思いだしたのは、昨日YouTubeを見ていたら、たまたま候補動画にZARDの曲があったから(めずらしいし、ふつうにこわい)。「MIND GAMES」だった。べつにすきな曲でもなかったのに、最近あたまにながれるのはこの曲。

 

・いま聴くと、2000年以降の曲がめっぽうふかく聴き入る。曲、声ともにピークはそれよりまえだという認識はありつつも、「明日を夢見て」よりあとが、ZARDとしても坂井さんとしても本番であったろうという感じがする。

 

↓ここからZARD以外の話

 

・ここ一週間毎日小説を書き続けている。毎日2000字ずつ、400字詰原稿用紙にして5枚ずつを。朝に呼吸を整えて、10分瞑想をして、適当な本(小説以外)を読んだあとに書く。だいたい2時間±10分くらいで終わる。ずっと書こうとしたし書いてはみたけれど形にならなかったものたちがふたたびあらわれてくる。ほとんどおなじようなすがたをして。しっかり出しきってやらなくてはこのまままえに進めないということなのだな、と思う。

 

・物語を書く、という、個人的作業。

 

・絵に関してはそんなこと思わなかったけど、文章は書かないあいだすこし罪悪感に似た感情があって、写真を撮って写真集をつくってもつくっても「文章を書かなくてはだめだ」という感覚があった。「これでは本にならない」というような。ようやく書ける時間にはいって、とりあえずほっとしている。

 

大島弓子を「ポーラの涙」から読み直している。今日は「誕生」を。これまでちょっとした我慢の時期だったけれど、ようやく大島弓子大島弓子になってきたなという感じ。筆も乗っていて、最盛期の絵とは違うがこの絵もいい。

 

・写真は、撮っているような撮っていないようなであるけれど、あんまり腕は鈍っていないなと思っている。カメラを持ってなくても撮ってるから。どういう瞬間が写真になるかは捉えているというか、なんだったらフィルムは入っていなくてもカメラはもってシャッターを切っているし(露出もピントももちろんあわせて)。

 

・小説を書きはじめてからからだがかたくなった(もともとかたいのだけれど、さらに)。寝て起きてもばきばきになる。写真を集中的に撮っているときはこういう感じではなかった、もっと自然にちかい感じがしたし、自然にちかい感じに寄っていかなければならないという感覚があった。小説を書くときと写真を撮るときではまったく感覚が違う。時間の感覚や、脳みそのつかいかたが。たぶん、両方やっていると(ある観点から言えば)バランスがとれる気がする。

 

・どうでもいいけれど、あいかわらず自分以外のひとが撮った写真はあまり受け入れられない。どんな大家でも、受け入れるのには結構努力がいる。尊敬できないひとの写真はみんなパチモンに見える。自分の写真が見ていていちばん落ち着く。これがいちばんいい。みんなもきっとそうなんだろうと思うけれど。

 

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