雑記 171023

まとめて記事にする根気が今日はないので、雑に書き散らします。

 

川上未映子責任編集『早稲田文学増刊 女性号』を手に入れた。たまたま川上未映子のインタビュー記事を見たときにこの雑誌のことも書いてあって、実物を手に取って見てみたいなと思ったがまあ出会えない出会えない。ジュンク堂のオンラインで検索してみても「取扱なし」とのこと。とりあえず書店に行けばサーチしていたらようやく見つかった、最寄りのイオンの未来屋書店で!実物見たら「これは買おう!」とすぐさま思える存在感だった。中もすごいよ。目次を見たときからただごとではない感が漂っていたが、その通りのただごとではない事態。文学的な深みはもちろん「女性はどこからきたのか、女性は何なのか、女性はどこへいくのか」ということを自然と心が感じてしまう。まだ5分の1しか読めていないけれど評判になるのが仕方のない出来だった。

 

・11月で今やっている仕事(ただしくはアルバイト)が終わる。次なにしようかな。

 

・仕事と言えば、最近職場の人のポートレイトを撮った。「ポートレイト」とかいう写真を撮るのは初めて。スタジオを借りるということもなく、かなりあり合わせというか、恵まれているとはいえない環境で撮った。相手も撮られ慣れていないから随分かたくなっているように見えたけど、出来上がった写真を見てみたら緊張しているようには見えなかったので不思議だった。カメラとぼくが見ている景色ってやっぱり違うのね。でも、ああいう写真でよかったのかなあ。撮っているのは楽しかったけど…まあでも難しいよね。

 

・今月撮った写真を見ていたら10月12~14日の間、写真がなくて驚いた。3日間も撮ってなかったの?そんなこと可能??と思ったけど、フィルムの撮り始めと撮り終わりの日付はきちんと記録してるし、未現像のままフィルムをなくしているとも思えないから、たぶん撮ってなかったんだろうな。とはいえさすがに3日間カメラを触っていなかったとは思えないので、空シャッターを切ったりはしていたと思う。フィルムがないとき、時々空シャッターを切ることがある。ただ切るだけではなく対象を選び、ファインダーを覗き、露出とピントを合わせ、シャッターボタンを押す。要はフィルムが入っているときとまったく変わらないということだ。変わるのは気持ちだけ。フィルムが入っているか入っていないかという意識だけである。空シャッターは、当たり前だけどかなり軽い気持ちでシャッターが切れる。損得を考えず切りたいときに切れるので、自分の気持ちが素直に出る。「本当はこういうふうに撮れるといいんだな」というのがわかる。でも、もって2日である。3日以上空シャッターを切る日が続くとかなりむなしい気持ちになってくる。空白の3日間…どうしてたんだろうな。

 

・忘れる、撮った写真のこと。「あれ?こんな写真撮ったっけ??」ってことが最近多い。「あれ、これ撮ったのは覚えているけど、こんなふうだったけ?」というのもよくある。あと、なんかもういつ撮ってもいい気分になってきている。何をいつ撮ってもいいかなあ、というような。今だけだと思うけど。ほんとうに確かなものがないよな、写真って。

 

 

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ピカチュウのこと「ぴかてふ」って口語で言うことがあるんだけど、それだとピカチョウだよね。でもなんか違和感なく通じるんだよなあ、ぴかてふ。