Nikon F2 Photomic

占いがすきで、石井ゆかりの占いをよく見ている。

 

その占いによると、どうやら10月10日は木星がぼくの誕生日星座である天秤座から蠍座に移るタイミングであったらしい。

 

木星は昨年の9月に天秤座入りして、それから今日までの1年間は今後12年かけて取り組んでいくことの「種まき」をするような時期、ということだった。そのためにずいぶん大変なことがいろいろあるだろうと、半ば脅されるように何度も言われていて、実際に大変なこともあったのだけれど、それはともかく昨年の9月というとちょうどぼくが現在使っているカメラ、Nikon F2 Photomicを使い始めた時期でもあった。

 

このカメラは父が職場の人(何でも凝るとても変わった人だったらしい)にもらったカメラで、長い間父の箪笥に眠っていた。それがぼくがたまたま写真に触れるようになって、「ええカメラあるで」となり、手元に転がりこんできたのである。

 

それまでは職場の先輩からもらったYashica Electro GX35を使っていた。レンジファインダー、絞り優先でシャッタースピードはオートで決めてくれる、とてもいいカメラだった。

それが一眼レフ、フルマニュアルに変わったのである。

何となくYashicaを使っていた時の感覚で「こんなもんかな」と撮っていたが、特に不自由なく撮れた(かと言って、正しい露出感覚で撮れているのかどうかはわからないけ。今も)。そして、撮った写真を見たとき、「今の自分が撮りたいと思っているイメージに近いかもしれない」と思った。

 

理由はいくつかあるが、1つにはそれまでに使っていたカメラに比べてはるかにレンズの描写力が高かったこと。Yashicaだって気に入っていたし、特に不満を覚えたこともなかった。Nikon F2で撮れた写真を見ても、最初はそんなにすごいとも思わなかった。けれど今、他のカメラで撮った写真を見返してみると「とてもこれでは撮れないな」と思う。とにかくなめらかに、きっちりと写し込んでくれるいいカメラなのだ。

 

もう1つは、いい意味でとても素直な写真が得られるということ。誇張しない。味みたいなものも出ない。ただただ素直に、淡々とレンズの前にあるものを写してくれる。ひょっとしたら物足りないと思う人もいるのかもしれない。けれど、写真になったときに自分の見た景色が必要以上の姿になっていないということはとても大切なことだと思う。それはたぶん、ぼくが写真について気にしている「透明感」に関わることなのだ。あくまでカメラがカメラとして、機械として、正しく動作をしてその結果得られたのがこの写真です、という、他のカメラと接していてもそういう感覚はあったけれど、それにしても癖なく淀みなく仕事を全うしてくれる。そういうすがすがしさがNikon F2 Photomicにはある。

 

シャッター音が大きいのも気に入った。それまで一眼レフで使ったことがあったカメラはASAHI PENTAXのSPOTMATICで、Nikon F2に比べればボディも軽量、シャッターもカシャッ、カションッと軽かった(Yashicaはカチッ、カチンッ、だった)。それがNikon F2になってガシャンッ、という感覚になった。自分としては、写真を撮るときには時間や空間をぶった切るような、ちょっと乱暴な感覚があった方がしっくりくる。これももちろん、使うまでは考えもしなかったようなことだけれど、結局写真は身体感覚で撮っていかなくてはならないので、ここが合うか合わないか、合わせられるか合わせられないかというのは当然重要である。

 

そんなわけで、「これからはこのカメラで撮っていこう」と決めて、使い始めて1年が経った。ずいぶん手になじんだけれど、まだまだ使いきれている気はしない。1か月経てばどんどん写真が更新されていくのだ。たぶん、このカメラのポテンシャルはもっと深くて、ぼくの写真の実力が全然追いついていないのだ。撮っても撮っても「もっと撮りたい」となる。毎日同じ場所で撮っていても、毎日撮りたいと思う。それはやっぱり、このカメラがずっとぼくにすごい写真を運んできてくれるおかげである。

 

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